Presenceがあなたを通して動き出すとき、それは欲望ではなく、喜びに基づいています。何かを欲しがったり必要としたりすることに基づいているのではありません――なぜならあなたは完全さ(fullness)から生まれてきているからです。その行動は、あなたを満足させることを目的とはしていないし、あなたに何かを付け加えるためのものでもありません。それはあなたがすでにその中に住んでいる、完全さから生まれてきているのです。だからその中にはいかなる欲求も存在しません。
障害は起こるべくして起こってきます。特にあなたがこの世界の条件づけに反するようなことをするときには、あなたは障害を発見するでしょう。しかし同時にあなたを助ける壮大な力をも発見するでしょう。
障害は、非協力的な人々や状況というかたちをとってやってくるかもしれませんが、あなたの行動には壮大な力が流れ込んで、さまざまなかたちであなたを助けてくれます。ちょうどいいタイミングで、ぴったりの人物や、ぴったりな出来事としてやってきます。実際に障害が起こってきたとき、それらは敵とはみなされません。エゴは自分の進む道にあるすべての障害物を敵とみなします。
障害はいったんありのままに受け入れられ、あなたはそれと戦うのではなく、それと協力します。または迂回していくか、そのエネルギーをもらってひっくり返します。障害は、あなたがなすべきことに組み入れられます。あなたはもう助けのない状況や非協力的な人々というかたちをとる敵には出会わなくなります。すべてはありのままに抱きしめられ、変容させられます。
それはあなたが起こすというよりは、あなたがそれにとっての媒体/手段(vehicle)になるのです。それはあなたを「通して」起こります。パワーは、それ自身が望んだときにやってくるのです。
目覚めのプロセスには二つの側面、あるいは次元があります。一つは、あなたそのものである内側の源(Source)を見つけること。次にそれを人生にもっともっと取り入れていくことです。あなたの日々の生活に静寂(Stillness)が散りばめられるように。あなたの人生のいたるところに静寂が点在するようになると、エゴはだんだん消えていきます。あなたは、新しいエネルギー・フィールドを具現化するようになります――まるでもう一つの次元から何者かがあなたを通してこの世界に現れるかのように。
もっとも重要なのは、私がときどき口にする「目覚めた行動」のための基礎を作ることです。この世界は行動する人々にあふれていますが、そのほとんどは無意識の行動です。不幸せな状態から起こり、より不幸せな状態を作り出します。われわれの最初の仕事はその次元、もう一つの次元をこの世界に運び込むことです。普通の日常生活において、誰かの話を聞くこと、ここからむこうへ歩いていくことなどの瑣末なできごとのなかにPresenceが流れ込んでいくことが可能かどうか、試してみてください。Presenceは、スピリチュアルな練習として、「今」この瞬間に「今」がとる姿形と調和し、それが何だろうとあるがままに受け入れることを意味します。あなたが「今」の取る形と調和すればするほど、よりたくさんのエネルギーがやってきます。
日常生活において、Presenceに根ざしていることは不可欠です。基礎になるのは「今」をあるがままに受けいれ続けること(continuous acceptance of the is-ness of Now)です。それによって、Presence はもっともっと確固たるものになります。あなたはいうなれば今この瞬間を教師として学ぶのです。今に「イエス」と言いましょう。そうすればPresenceはやってきます。最初は、世界の状況などではなく、自分に身近な日常に限定して、事物をあるがままに受け入れていくことを始めてみましょう。しばらくすると、Presence にはもうひとつの側面があることに気づくでしょう。Presenceには、ただ静止しているだけでなく、とても動的な側面もあるのです。そここそが「目覚めた行動」がやってくる場所です。
何かかたちあるものがあなたの人生から取り去られたとき、あとには何もない空間が残されます。たとえばあなたの身近な人が亡くなったとき、そこには突如として空っぽの場所が出現します。それはかたちの世界の視点からみると、とても痛ましいできごとで、あなたは泣き悲しむでしょう。なぜならそれがかたちの世界の現実だからです。しかしそこにはまたかたちのない世界のより深い現実も存在します。そしてもしあなたがその両方と共にとどまれるならば、死という現実を目の前にしてもなお、心の深い場所で安らかな気持ちを感じることができるでしょう。
なぜなら、後に残された空間から、かたちのない世界の光が輝き出すからです。すべての喪失は、恩寵を内包しています。それは亡くなった人の本質でもあり、何ものにも決して破壊されることはないのです。
Eckhart Tolle TV 2010年2月のトピックス “ラルフ・ウォルド・エマソンのEssays“ より
エックハルト・トール