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Intimacy with yourself   アジャシャンティとエックハルト・トール

mindfulday.exblog.jp

~Radio Adyashanti とETTVの和訳を中心に~

Sounds True から ときどきメールが来ます。
いつもはあまり見ないでスルーしてしまうのですが、この前きたメールはなんとなく気になって読んでみました。
Mary O'malley という女性の”What is on the way is the Way"という本。
44ページの無料試読版がついてるところはさすが太っ腹のタミ(Sound Trueの女性社長タミ・サイモン)さん。

何の気なしに読んでみたら、これがすごい私にはヒットしました。
さっそくアマゾンで買ってしまいましたよ。まだ来てませんが。
アジャさんが今回のコースで強調してたcuriosityというキーワードも、一致してましたし。
アジャさんのいってることを、また違うアプローチで教えてくれる感じがします。
やはり女性的な視点はいいですね~~

これ訳したいな~
そんなこと言ってばっかりで、なかなかできないけれど。
うーん。
でもすごくいいです!!
時間できたら、ちょっと紹介します。

アジャさんの瞑想のコース、聞き直すたびに新しい発見があり、聞くたびに深まっていきます。
瞑想も毎日やってるのですが、どんんどん深まっていく。そして感じ方や反応が日常でどんどん変わっていく。
変化が自分でわかるのが嬉しいです。

アジャさんがぞっこんの詩人、David Whyte のエッセー集も届きました。
わくわくして読んでます。
めちゃくちゃいいです。

最近、仕事の本も、すごくよいのが見つかって、アイデアが浮かんでくるようになりました。
うまくいってない案件についても、ぜんぜんあせらなくなった。

体調はボトムなのですが(泣)それでも、影響されないくらいです。
引き続き、聞き直そうと思います。



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# by suna-tuki-mori | 2016-04-05 22:18 | 日々のつれづれ
今回のThe Art of Meditation のコースは、第1週目から3週目までは、セッションのあとに、誘導瞑想と、日常生活で実践するエクササイズが配信されます。
誘導瞑想は毎回テーマが変わり、より深くなっていきます。

アジャさんの瞑想はものすごくシンプルです。

快適ないす、または床にすわり、できれば背中をまっすぐにした状態で、てのひらを上にして、左手の親指以外の4本の指を、右手の4本の指の上に重ね、それから右の親指に左の親指を軽くのせる感じで組み、ひざにおきます。
こうした姿勢は、究極的にはオープンな状態を作るためにあるそうです。
姿勢は意識の状態に大きな影響があるからです。

そして自分のリズムで自然な呼吸をしながら、頭のあたりにある意識を首、肩、胸、下腹、おへその下へと下ろしていきます。
おへその下まできたら、そっと呼吸に意識を向けます。

重要なことは、何かを起こそうとか、特別な体験を促そうとしないこと。

おかしなたとえですが、風邪をひきたいなと思ったら、風邪を引いた人のそばにいったり、風邪をひきそうな行動をするでしょう? それで確実に風邪を引くかどうかはわからなくとも。
そのように、適切なやり方ですわって、自然な呼吸をすることは、土壌を作ることです。
可能性を拓くということです。

あとはただ、呼吸に意識を向けている。
そして注意がそれて、迷い始めたと気づいたら、またそっと呼吸に注意を戻す。
(そのとき、自分を責める気持ちがなければないほどよい。コントロールしようとか押さえつけようとすると遠ざかる。頑張らない)
ただシンプルに、気づいたらそっと戻る、を繰り返す。

自分自身の、自然な呼吸のリズムに従う。
体のリズムについていく。寄り添う。
すると体はリラックスし、神経系が穏やかになっていきます。

うちがわの静かな場所に、耳をすませる。
うちがわの静寂に聴き入る。

するとその静寂は育っていく。
だんだん広がっていく。

これをできれば毎日20分は続けるとよいでしょう。
そして目を開けてもしばらく、その静寂が持続している感覚を味わいましょう。




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# by suna-tuki-mori | 2016-03-14 10:18 | アジャシャンティ
この訳語が適切かどうかはわからないのですが。

The Art of Meditation の4回目の続きです。

アジャシャンティは”Efforless effort" という語を好んで使います。

セッションの最後のほうでも、瞑想は最終的にこのエフォートレスエフォート(結局カタカナやん)に集約されるというようなことを言っています。

第1回めの、瞑想の型の習得のところでは「思考に降参する」ことを最初にやりました。

つまり抑えつけない、コントロールしない、しようともしない、ということなのですが、だからといってただ思考に身を任せるということでもないのです。

ただ考え事して時間が終わってしまっては元も子もない。

それゆえ、思考に向けていた注意を呼吸に向ける、という努力をします。

でもそれは最小限の努力、努力ともいえない努力なのです。頑張るとうまくいかないのです。

この加減が、キモなのかなと、私は思いました。

これは今までの(思考に向かっていた)注意を、意識を別のところに向けるという、いわば「長年の習慣を変える」努力です。

だからすぐうまくいくわけはないのです。

何度も何度も、失敗してはまた戻る、忘れてはまた戻るという繰り返しなのです。

でも頑張らない、ゆるく、軽やかに、だけど、辛抱強く。

だけど確実に結果は出ます。


セッションの後半でアジャさんと、参加者が直接電話で話すのが聞けます。

最近、そのやりとりを聞いていると、参加者の方たちが明らかにすごく、クリアになってきてるという感じがします。

私などがいえる立場ではないのですが、なんとなくわかります。

そのあたりも、私がアジャさんのやり方にとても引かれる理由です。







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# by suna-tuki-mori | 2016-03-12 14:02 | アジャシャンティ
今日、The Art of Meditation の4回目を聞いていて、「あっ」と思ったことがありました。

以前、リトリートの日課という記事を書いたのですが、そこに、Silent Sitting を勝手に「瞑想」と訳して書いたのです。

しかし、アジャさんがそこにMeditationという語を使ってないのには意味があったのです。

瞑想を続けていくに従い、次第に瞑想しているときと、普段の日常との間に差がなくなっていく。

やがて、「ただ静かに座っている」状態が、瞑想しているのと同じになる。

そういうことだったんですね。

またアジャさんはよく、アジャさんが瞑想しているというと、『まだ瞑想しているんですか? あなたほどクリアになれば、もう必要ないのでは?』と言われるそうです。

でも、アジャさんは瞑想を必要だとか必要でないとか「ゴールをめざすための手段」とは考えていないといいます。

「静寂はやがてあなたの一部となり、日常すべてが瞑想のときのような意識状態になっていきます。

それでもなお私たちはときどき、特別に静かな時間を自分のために(特にスピリチュアルなイベントという文脈で捉えることもなくとも)割くことを好む性質を持っているようです。

その理由はただそれが(非常に静かであることが)私たちの本質であること、そしてわれわれが静寂によって滋養を得る存在であるからでしょう」



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# by suna-tuki-mori | 2016-03-10 00:32 | アジャシャンティ
(前略)このようにして瞑想が深まってくると、ときどき、瞑想者が消えるということが起こります。
そのような体験をすると「わあ、すごい! 瞑想の質が変わったぞ。あれはどうしてそうなったんだろう。どうしたらまた体験できるのかな。どうやったら再現できるだろう」と考えてしまいがちです。
そして瞑想のたびにまた「あの(瞑想者がいなくなる)体験」を見つめたり、待ったりしてしまいます。
誰しもそのような経験はあるでしょう。
でもみなさんご存知のように、そのような姿勢、つまりまたその状態を「起こそう」「再現しよう」とする行為は、結果的に「瞑想者」の存在を強固にしてしまうのです。

そんな状態に陥ったときに、ごくごくシンプルな瞑想の方法を知っていることはとても役に立ちます。
それを知っていれば、またいつでも1からやり直す、基本に立ち戻ることができるからです。







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# by suna-tuki-mori | 2016-03-07 23:53 | アジャシャンティ