ブログトップ

Intimacy with yourself   アジャシャンティ的な何か。

mindfulday.exblog.jp

~Radio Adyashanti と オンラインコースの感想を中心に~

<   2011年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

その状態にあるときあなたは自分がなにかをやっている、言っている、あるいはただ集中して在る、ということを発見します。おおいなる力があなたを通してこの世に流れ込みます。それはかたちのある世界で知覚されるよりもはるかに大きなパワーです。それは外側の現実を変えていく力があります。
変えていくといっても、「これをやってやろう」というような浅薄なやり方ではありませんよ。
思慮のある状態で、世界とかかわり、外側の世界を変えていきます。

なぜなら意識と、外側の現実の間には境界線などないからです。
ふたつは地続きであり、現実は内側の意識の状態の反映です。

ですから、意識をそちらへ動かせば、世界も変わります。
我々はそれを個人として行うのではなく意識、consciousnessの共同創造者co-creatorとして行うのです。

そうすれば、それは我々を通して作用します。
我々は「スタートレック ネクストジェネレーション」に出てくるキューというキャラクターのようなことができるかもしれません。
でもキューのようにエゴの目的で使おうとしても、そのパワーは弱まってしまいます。
強い流れが制限されてしまうからです。

つまりイエスが言いたかったのは、「神が山を動かす」ということです。あなたの中の神
があなたを通して山を動かします。
でもその前に、あなたが自分自身の中に神を発見しなければ、ね。
[PR]
by suna-tuki-mori | 2011-08-30 14:47 | ETTV
ライブトークの参加者からの質問です。
「聖書のなかにイエスが信仰は山を動かすと言っている箇所があります(マルコによる福音書第11章22節~参照by訳者)が、これを説明してください」

エックハルト:
信仰という言葉は誤解を招きやすい言葉です。特にドイツ語ではfaithとbelieveは同じ言葉で表されるので、その傾向があります。
しかし本来faithとは何かを信じることではなく、タオ、powerのことを言っています。
そのpowerとは、いのちの源(source of life)にアクセスする力のことです。
すなわち信仰を持つ=have faith ということは、完全に本来のあなたである、あなたの本質で在るということです。

そのためには騒がしいマインドを超えて、生き生きとしたstillness にふれることです。
個人personalityは、降伏しなければなりません。
考えるマインドは、閉ざされた扉のようなもの。
グルジェフというロシアの神秘家が言っています。

「人間には二つの側面がある。一つは個人 personalityで、もう一つは本質 essence
だ」
多くの人々は個人の側面が非常に発達しています。
特に西洋文化においてはその傾向が強いです。そして今の時代は東洋もどんどんWesternizeされています。
しかし一方で、我々におこっているように、個人の側面が落ちていく人たちもいます。
個人が衰退していくと、そこから本来の生き生きとした本質が輝きだします。
それが私たちの生きる目的でもあります。
そのようになっていくと、個人の側面は、本質に奉仕する召使になります。
すると本質が私たちに何をするべきか、いうべきかを明らかにし始めます。
我々はそれを自分自身で行っているように感じるかもしれませんが、その「自分自身」はもうすでにエゴのIではなくなっています。
(続く)
[PR]
by suna-tuki-mori | 2011-08-28 09:08 | ETTV
あなたの人生に訪れるどのようなチャレンジをも、あなたの意識の炎を燃やす燃料として使いましょう。

それは「あるがまま」に降伏することで可能になります。

そうすることを、他の人よりも多く必要とする人たちもいます。

もしあなたが日常生活において「ある」ことを選択するなら、過酷なチャレンジはおそらく必要なくなるでしょう。
[PR]
by suna-tuki-mori | 2011-08-26 10:01 | reminder