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Intimacy with yourself   アジャシャンティ的な何か。

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~Radio Adyashanti と オンラインコースの感想を中心に~

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今朝、ニュース番組で指揮者の佐渡裕さんという方が、ベルリンフィルを指揮した体験を語っていらっしゃいました。3日間振られたらしいのですが、その3日目が特に素晴らしかったようです。ご自身でも「3日目は、よくスポーツで『ゾーンに入る』といいますが、まさにそんな感じでした。指揮している自分の存在が消えて、誰が指揮しているのかわからない状態でした。そして目の前ですごいオーケストラが演奏しているんだけれども、演奏者の存在も消えているような感覚でした」
まさに個人が落ちたというか、違う次元が開いたという感じですね。
その場で演奏を聴かれた方は幸せですね。
と、いうより聴衆も一緒に消えていたんでしょうね・・・・・・
「誰も(指揮者も演奏者も聴衆も)いない」渾然一体という感じでしょうか。

私が放置しているCreativity(2010年10月の記事です・・・・・・)という記事があるのですが、そこでvehicle(媒体)という話が出てきました。
エックハルトが、自分の中の深い次元にアクセスしたとき、その源からやってくる力は、その人にvehicleがあればその形を使うという話をしていました。
「私はそこにアクセスできるけれども、ピアノのひき方を知らないからピアニストにはなれないし、テニス選手にもなれないんです」
とエックハルトはいいます。
そしてある研究によれば、(これはエックハルトとは関係ない、表層的な研究だそうですが)何かをマスターするのには10,000時間の修業が必要らしいという話を持ち出します。もし誰かが何かをマスターしたいと願って、10,000時間の修練を積んだなら(もちろん積んだだけじゃなくて、ちゃんと「在る」状態でいられるなら)一流になるだろう、という話でした。その研究によればビートルズはデビュー前、リバプールやハンブルグの安酒場で、ただみたいなギャラで演奏させられていたそうですが、そこで10,000時間の修業を積んだので、ブレークスルーがやってきたそうです。

もっとも10,000時間といえば一日4時間費やしたとしても、毎日休みなく続けても6年、一日2時間だと12年ですからね・・・・・・
続いたらその時点でもうたいしたものだという気はします・・・・・・

ただ自分には何もないわ、と悲観する必要はありません。
「vehicleがなければ、力はほかの形をとって、あなたの存在そのものから放射されます。
私は橋の上で、通行する車から料金をとるトールブースの人にpresenceを感じました。彼は『2ドルです。ありがとう、よい一日をね』と言うだけですが、その言葉はそこを通る人の一日を変えるのです」
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by suna-tuki-mori | 2011-06-30 21:28
ちょっと前に娘に「ママって、悩みないの?」きかれました。
しばらく考えて「うーーん。ない」と答えたら、「幸せなヒトだね」とあきれられました。
もちろん「はぁー」と思うことはたくさん起こってきますケド、それを「悩み」と思わなくなったということかもしれません。
また「相談」ということもしなくなりました。どうしてかはわからないのですが他人に相談することに、まったく意味が感じられなくなりました。
もちろん、ふつうの意味でアドバイスを求めたりすることはあります。
「どうやったらこんなに部屋をきちんとしていられるの~?」とかね。

ETTVで、会員が結構深刻な質問をエックハルトにしていました。(その人は実際に会場に来ている人でした)
最初この女性は、「ある場合に正しい行動というのは、どうしたらわかるのでしょうか?」というような漠然とした質問の仕方をしました。
それに対してエックハルトは例にによって「もう少し具体的な例をあげてもらえますか? そのほうがみんなに伝わりやすいから」といいました。
すると女性は、「私が係わっている施設で、ある男の人が、数人の子供たちに性的虐待をした過去を告白しました。彼に対し軽蔑したり非難したりする人たちもいますが、私は彼が苦しんでいることに同情も感じます。この場合どうするのが正しいのでしょうか?」
この女性の言ったことだけではくわしい事情はわかりませんが、私が勝手に推測すると、この男性というのはその施設の職員、またはボランティアなどなんらか子供たちにかかわりのある立場にいる人なのでしょう。この告白により、施設を去らなければならないのかもしれません。そしてその「過去」はたぶんその施設に来る以前、おそらくはかなり昔のことなのではないでしょうか。そうでなければ告白と同時に強制的に施設をやめさせられているはずですから。

エックハルトはこの種の質問に答えることは非常に困難だといいます。
なぜなら「正しい答え」などないからです。
適切な答えや行動は、その瞬間、その当事者に「くる」といいます。

「まずはその人によって傷つく子供たちがこれ以上出ないようにすることが最優先ですね」
とエックハルトは言います。
「それ以上のことは、あなたにしかわかりません。あなたが『在る』状態でいれば、必要な答えは必要な瞬間にやってきます」

もしこの場で誰かが「私は子どもを虐待してしまうのです・・・・・・・」と相談したなら、自分はその問題に向き合うだろうとエックハルトは言います。
「でもそのとき私が何をどう答えるのかはわかりません」

答えのわからない問題に突き当たったとき、エックハルトの勧める方法は、心の中でその問題をformulate(明確に述べる/組み立てる)し、それからいったん忘れる(Let go)ことだそうです。
そうするとしばらくして、それはすぐではなく何時間もたってからかも知れないし、あるいは次の日かも知れませんが、答えがやってくるそうです。往々にして思いがけないタイミングで。
忘れる、というのがミソらしいです。

「それ以上のことは私には、そして誰にも答えられません。なぜなら、こうした質問には一般的なレシピのようなものはないからです」とエックハルトは言います。
聞きようによっては突き放しているようですが、実はもっとも親切な答えかもしれません。

娘は私に何か「相談」してきたりはしませんが(当てにならないことを知っているので)、時々ぐちをこぼしてきたりします。
「~したら?」とはなるべく言わないようにしていますが、つい言ってしまうときもあります。
後から考えてみるとそれはどう考えても私のマインドの押し付けです。
そして大抵のことは、私が考えた姑息な解決方法よりもずっといいかたちで、いつのまにか終っています。
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by suna-tuki-mori | 2011-06-29 14:59
連ドラ「生まれる。」が終りました。
あまりにも直球勝負な内容と毎回大杉漣さん演じる産婦人科医や戸田恵子さん演じる編集長が田中美佐子さん演じる51歳の母や堀北真希さん演じる編集者にゴリゴリお説教するのに閉口しながらも、イケメン兄弟を応援してみておりました。

この中で再三「生まれてきてくれて、ありがとう」「赤ちゃんはお母さんを選んでうまれてくるんだよ」「あなたは選ばれたんだよ」と産婦人科医がいろんな人をさとすのを見て、妊娠・出産時、そしてこどもが小さかったころよくこの言葉に感動したなあーと思いました。
というよりそういう思いがあったからこそ、子育てを続けて来られたような気がします。

でも最近、ちょっと違うかもしれないと思いはじめました。
「起こることに意味はない」という考え方を知ってから、それが結構今の自分にしっくりくるような気がしてきたのです。
すべてのことを「これは何のメッセージだろう」「どういう意味だろう」と考えるのをやめてみると、すっかり気負いがなくなって軽くなりました。
こどもが私のところにやってきたのも「ただの通りすがり。ちょっと振り向いてみただけ」と考えると何だか気楽で、楽しい。

過去世で約束してきたという考えもロマンチックで捨てがたいけど、その約束すらも本当は自分できめたんじゃないのかも~
中島健人くんが死ななくてよかった、とほっとしながらそんなことを考えていました。

最近、DVDなどでも前ひかれていた感動系が少し重く感じられるようになってきました。
お笑い好きの友人と初ライブに行く予定があり、楽しみです。
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by suna-tuki-mori | 2011-06-26 08:04
ご訪問ありがとうございます。
と突然書いたのは、リア友と少数の迷い人しか読んでいないはずのこのブログのアクセス数がほんのちょっと増えたためです(><)

さてきのう、「心のおしゃべりが止まった」という話を得意気に(!?)書きましたがこれを「はあ? だから何?」と思った方のために補足しておきます。
エックハルト・トールは人間の苦しみの原因として「エゴ」というものを大きく取り上げています。「ニュー・アース」では特に大きく一章を割いて説明しています。くわしい説明はぜひそちらを読んでいただくとして、エゴとは人間が「自分であると勘違いしているもの」です。「心のおしゃべり」もそのひとつ。自分の意志と無関係に絶え間なく心に湧き起こってくる思考、それによって引き起こされるリアクションとしての感情などです。通常それはその人にとって「私」そのものであると誤解されています(実はそれは真の私とはなんの関係もない、現れては消える泡のようなものです)。
しかしいったん心のおしゃべりを止めて、その奥にある本当の私=意識(awareness)に気づいたとき、その人にとっての目覚め(awakening)が始まるというのです。

したがって苦しみの原因である「エゴ」をなくすためにはまずその存在に気づくこと、それが現れるたびに「エゴだ!」と気づいて巻き込まれないようになることで、次第にエゴは小さくなり、苦しまずに生きられるようになるというわけです。
エックハルトは著書の中で、エゴに気づき「在る」=present、conscious、awareであるための方法を教えてくれています。インナーボディや呼吸に集中する、自分が透明になったとイメージする、日常動作のひとつひとつに集中する、などです。
それらの方法は確かに役に立ちました。そして今考えれば時々確かに「在る」状態にいられるようにもなりました。でもそのことに確信がもてなかったのです。
つまり「自分は今在るに在るか?」ということに対して全く確信が持てなかったわけです。
「共鳴」してもらって初めて、それでいいんだ、ということがわかったのです。
なので今「共鳴」セッションが受けられない方も、エックハルトの方法を実践されていくことは決して無駄ではない!!と私は思います。
(矛盾するようで申し訳ありませんが、無空庵では「ニュー・アース」はあまりオススメしていないそうです。すでに「在る」状態を知っている方がエゴに焦点を当てすぎることで混乱してしまう場合があるようです。人によって合う合わないがありますね。自分に合うカリキュラムを見つけることが大事かも)

また最近わかってきたことは心のおしゃべりが止まること自体をめざすのではなく(結局それは際限なく出てくるものなので)、そのおしゃべりに巻き込まれないようになることがより重要だということでした。(これを知ったときなぜか「右から来たものを左へ受け流す」というあのムーディさんの歌が頭に浮かびました。意外に深い)

もちろん理想としてはデフォルトでノーマインド(完全におしゃべりがストップした状態。そもそも万人が本当はデフォルトでその状態、自分が明晰でないために気づいていないだけ)なわけですが、まだまだ未熟者の私はその境地にはほど遠い。
ということで「ジタバタ、時々ノーマインド」な日常とエックハルトネタをこれからもつづっていきたいと思います。
 
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by suna-tuki-mori | 2011-06-23 19:31
自由意志はあるのか? という会員からの質問に対するエックハルトからの答えをかいつまんで意訳します。

“Is there such thing as free will?”

というのがオリジナルな問いです。エックハルトは質問を受けたとき、それが抽象的な質問である場合にはできる限り具体的・日常的な例に落とし込んで答えようとします。
このような場合、質問を

“Do I have free will?” (私には自由意志があるのか?)

と言い換え、そして自分を観察(self observation)することが有効だといいます。
表面上、私たちは自由意志を持っています。何かをしようと決めて、それをすることができます。右手を上げよう、と思って右手を上げることもできれば、上げないという選択肢もあります。何を食べようか、何を着ようか、自分で決めることができます(この例は確かラマナ・マハリシの本にも出てきましたね。あれ? ラメッシだったかな)。
しかし、もしあなたが夜中に目ざめ、何か心配事を思い出して眠れなくなったとします。あなたは「さあ、目を覚ましてあと一時間くらい心配しよう」と思ってそうしたのでしょうか? それともそれはただ起こっているのでしょうか。
あるいはスーパーに行きます。それはもちろん自由意志で行ったのですが、並んだレジの列がなかなか進みません。見るとあなたの並んだレジの店員はものすごく手際が悪く、モタモタしています。イライラした気持ちがわいてくるでしょう。そのときあなたは「さあ、イライラしよう、本当にあの店員にイライラするぞ」と決めてそうしたのでしょうか。
それともそれはただあなたに起こり、あなたはイライラにのっとられたのでしょうか。
どうやらあなたにはコントロールできないみたいですね。

そうやって自己観察を続けましょう。
多くのことが内側からやってきてあなたをtake overすることに気づきますね。
思考、感情、反応、行動パターン、あなたのエゴの様々な側面が、ある特定の状況に呼応してやってきます。
そしておなじみのペインボディです。ペンボディが呼び覚まされると、エネルギーが全く変化し、別人のようになってしまいます。
こうしてみてくると、多くの場合あなたは自由意志を持っていないように思えてきます。

しかしその事実を理解することはとても有用です。それに気づいたということが、最初の一歩だからです。それに気がついたならば、あなたはもう100パーセント無意識の思うがままではありません。

自己観察を続けると、「観察する存在」があなたのなかで育ってきます。
それこそが唯一「限定された意味のI(通常あなたのふりをしているけれども、実はどこかからやってきては消えていくだけの何かとの同一化)」と「より深い意味でのI 」の統合をもたらすのです。
「私は怒っている」「私はイライラしている」と言っている「私(I)」は誰なのでしょうか。
たくさんの一時的な「I」があり、そのどれも本当の意味での「I」ではないのです。それらの「I」は互いに争うことさえします。

しかし、あなたたちは目覚めつつあります。
確かな一歩を踏み出しつつあるのです。
あなたたちは自分の内の、「時間のない、目覚めた存在」に気づいています。
それがあなたたちの中で育ってきます。育つ過程においては、今まで見えなかった「無意識な部分」が見えてきてしまうために、自分がかえって後戻りしているような感覚を持つこともあります。でもそうではありません。自分が今までいかに無意識に生きていたか、自由を制限されてきたかに気づくことで、自由への可能性が広がるのです。

その存在が育ってくれば、今までなら無意識にのっとられてしまったような状況で、選択することができるようになります。
思考はなおもやってきますが、それはあなたの中のより深い叡智からくるようになります。
自分が苦しんでいることにすら気づかないまま苦しんでいた段階から、あなたをのっとる無意識のパターンから抜け出せるようになるのです。
最初はむずかしいかもしれません。
しかし、インナーボディや、呼吸に意識を向けることで、少しずつできるようになります。

伝統的に、人々は人生で自分に起こること、または生れ落ちた状況をカルマと呼び、重要視します。しかし本当のカルマは、それらに対するあなたの反応(response)の中に起こってくるのです。そしてあなたが、与えられた状況に対しどのように反応するかで、次に起こることが決まるのです(ここでニヤっと笑うエックハルト。うっ、結構重要なことをさらっといいますね)。
カルマによる条件づけを破るには、あなたの人々や出来事、場所に対する反応の仕方を変えることです。そうすれば結果として起きる出来事も変わってきます。
(別の見方をする覚者もいますが、エックハルトは一貫してこのような見方をしていますね)

しかし、その最初の目覚め、それはどこから来るのでしょうか。
「目覚めよう」と選ぶことはできるのでしょうか。
エックハルトは言います。
一番最初の目覚めのきっかけは、ただやってくる。それは、恩寵です。
しかし一度でも「それ」を経験として知ったなら、あとは自分で選択して、それをあなたの人生に導き入れることができます。

でもそれも、どの視点をとるかによります。
一人ひとりの個人が「目覚め」を選ぶことができる。という考え方があります。それが実際われわれが体験することです。
しかしより高いあるいは深い視野を持つなら、われわれはより大きい全体性の中の一部であり、分離した個人などというものは存在しません。
ですから、そう考えればあなたは目覚めを選ぶなどということはできないことになります。
だって選ぶ「あなた」、全体から分離した「あなた」なんて本当は居ないんですからね。
真実は、たった一つのconsciousness、唯一の普遍的なIがあなたを通して花開くことを選んでいるのです。
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by suna-tuki-mori | 2011-06-20 12:19
仕事の締め切りが終わり、一段落したところでやっと「世界最速のインディアン」を見ました。
エックハルトはアメリカ映画特集の中で、二つほど「エゴのない人物」が登場する映画を紹介しました。そのうちひとつがこれです。
主人公はアンソニー・ホプキンズ演じるバート・マンローという男性なんですが、この人、実在の人物なんですね。
時代背景は1960年代ニュージーランド。バートは(奥さんに出て行かれた)一人暮らしの男性(63歳)なのですが、オートパイが大好き。私はオートバイについてはまったくわかりませんが、今のとは違って(今もあるのか?)流線形の車体があり、そこにすっぽり体を入れて中に乗り込むタイプ。バートは1920年型のモデルを自分で改良した「インディアン・スカウト号」で、ライダーの聖地(らしい)アメリカはユタ州のボンヌヴィル塩平原でのレースをめざします。
お金も足りず、心臓と前立腺に持病を持ちながら、ニュージーランドから船でアメリカへ、アメリカ国内は中古車を買ってバイクを牽引しながら、さまざまな人に出会いさまざまな困難を乗り越えついにボンヌヴィルに到着する。そして・・・・・・
というあらすじなのですが、「エゴのない」バート・マンロー、実は結構な困ったちゃんなんですね。
自分の家の芝を刈らないのでご近所から文句がくると、庭に火を放って燃やしちゃおうとするし、ボンヌヴィルに到着したものの、出場するための登録をしていなかった(必要だと知らなかった)ため出場できないといわれ「ニュージーランドからわざわざ来たんだから出場させろ」と駄々をこねたり・・・・・・
でも人々は結局彼の魅力に負け、彼の情熱に巻き込まれていきます。
ホテルのフロントのニューハーフしかり、中古車のセールスマンしかり、ボンヌヴィルのレースのオフィシャルしかり。それはバートが出会う人も、立ちはだかる困難もただありのままに受け入れ、くさらずあきらめず、そのとき自分にできることをやっていくから。

この映画を見て「エゴのない人」はこういう人、という定義づけなんて、無意味だなあと思いました。エックハルトの紹介してた映画、見たらまた順次紹介しようと思います。
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by suna-tuki-mori | 2011-06-15 15:36 | エックハルト・トール
5月のETTVトピックスは珍しく映画特集。メンバーからのリクエストだそうです。
確かにエックハルトは映画好きらしく、トークによく映画の話がでてきますからね。
前にも出てきたMatrix やGroundhog Day(邦題「恋はデジャ・ヴ」)のほか、「アバター」やロマンシング・ストーンシリーズの「ナイルの秘宝」などいくつか彼のお気に入りの映画を紹介してくれました。
私はその中から「世界最速のインディアン」(アンソニー・ホプキンス主演)というのをDVDで借りてみました。が、まだ見る暇がありません(涙)。

そしてあっという間に6月の新しいトピックスが配信されました。
今回はメンバーからのQ&A特集。
そのなかには「自由意志なんてものはあるのでしょうか?」という質問もあり。
最近ラメッシ・バルセカール著「誰がかまうもんか!?」を読んで以来、この自由意志のくだりがよく目や耳に飛び込んでくるようになりました。
エックハルトはどう答えるのでしょうか?
楽しみです。(まだ見ていない。涙)

この前書きかけて一人削除祭りした記事も、そのままになっているし。
体力と精神力の限界を感じる今日このごろです。
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by suna-tuki-mori | 2011-06-07 15:42