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Intimacy with yourself   アジャシャンティ的な何か。

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~Radio Adyashanti と オンラインコースの感想を中心に~

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4月26日(日)、八王子のクリエイトホールで行われた、西東京アクターズスクールの第Ⅵ期修了公演を見に行ってきました。
主催のAIR-空ーパフォーミングアーツ研究会に、舞手&パフォーミングアーティストをしている友人の八七美(はなび)さんが所属しているご縁で、鑑賞させていただくようになってから、今年でまだ三回目ですが、毎年、とても楽しみにさせていただいています。

西東京アクターズスクールの生徒さんには、いわゆる障がい者とよばれる人のなかから、舞台表現に興味のある人たちがたくさん参加しています。
この舞台の魅力は、そんな彼らが、スタッフ、ボランティア、他の参加者と渾然一体となって作り上げるパフォーマンスが、観客の魂を魅了する、生きた芸術作品であるということです。
一度ステージに立ってしまえば、誰がスタッフで誰がスクール生かなど、誰にも見分けがつきません。
音楽、構成、脚本、振り付け、どれをとっても素晴らしく、妥協を許さないプロフェッショナルな舞台です。

今回のステージは4部に分かれていて、それぞれディレクターが工夫をこらし、個性的な世界を繰り広げます。
どれもユニークで、シュールで切なくて、特に最後の第四部、「地上の光」のパフォーマンスには、天上的なものを感じ、心を深く揺さぶられました。

治療教育者の川手鷹彦氏によれば、障がいを持つ人たち、子どもたちの苦しみは、全身の細胞の一つ一つに枷がかけられているような想像を絶する苦しみなのだそうです。
そして彼らは、ほかのすべての人びとのためにその十字架を引き受けてくれているのだそうです。

でも、エックハルト・トールは「ニュー・アース」のなかで「苦しみの火は意識の明かりとなる」と言っています。
今回あえて、身体的不自由さを選び取って生まれてきた、勇気ある魂たちの肉体の衣は、苦しみによって花のように、鳥のように透明になり、そこから意識の光がまばゆく輝きだしていたような気がします。

素敵な時間を、ありがとう。
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by suna-tuki-mori | 2009-04-28 17:12 | 日々のつれづれ
弱くあるためには、十分に強くなければならない(3)

実践してみよう!

あなたが、なにかの障害に対して、厳格なやり方で対処しているとき、そのことを認識しよう。厳しくしようという衝動があるときには柔和であろうとしてみよう。けちけちしたいと感じたら、気前よくしてみよう。感情を遮断したり、閉ざしてしまいたい衝動にかられたときに、開かれた心でいてみよう。もし悲しみや嘆きを感じたら、その感情をそこにをあるがままにしておこう。なんであれ自分がそのときに感じているものを感じることを自分自身に許そう。泣くことや、傷ついた気持ちになることに対して自分がどんなラベルを貼っているのか気づいてみよう。そしてそれらのラベルを手放そう。いま感じていることをただ感じて、瞬間瞬間の気づきを育て、「上昇」と「下降」、「善」と「悪」、「弱さ」と「強さ」の波に身を任せよう――それらはいずれも、あなたの経験していることを完全に表現するには不十分であるということに気づくまで。経験そのものとともにあろう。すべての力のなかでも、あなたの一番深いところにある力を信頼しよう。つまり、そこにあるということの力、目覚めているということの力を。

(この項終わり)
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by suna-tuki-mori | 2009-04-13 17:38
弱くあるためには、十分に強くなければならない(2)

 だから、もしあなたが自分で、瞑想の経験に基づいて、不死身さとか、力強さとか、特別な知識、あるいは賢明さ、というようなイメージを自分が築き上げていることに気づいたら、また瞑想を行っている最中に、どこかに到達しようと考えていることに気づいたら、また瞑想について得意げに語り始めていることに気づいたら、そうした自分の心的傾向にこそ、気づきを導きいれることです。
 そして自分に尋ねてみるのです。もしかして、自分の傷つきやすい部分や、長いこと引きずっている悲しみや、何かの恐れから、逃げようとしているのではないか、と。もしあなたが本当に強ければ、そのことを自分自身や他人に強調してみせる必要があるはずはないのです。一番よいのは、すっかり方針を変え、自分が何を見ることを一番おそれているのか、ということに注意をむけてみることです。それを可能にするためには、自分自身に、感じること、ときには泣くことを、許してあげなければいけません。それから、すべてのものごとについて意見をもつ必要はないこと、そして他人の目に、強靭で、感情に振り回されない人間だと映る必要はないことも認めてあげましょう。そしてかわりに、自分の感情と常につながり、それらの感情に対して適正に開かれていることを自分に許しましょう。弱さのように見えるところは、実はあなたの力が眠っているところです。あたかも力強さのように見えるところは、多くの場合、恐怖を覆い隠そうとする試みに過ぎない、あなたの弱さなのです。それは、どんなにほかの人々に対して、あるいは自分自身に対してほんものらしく見えたとしても、実際は演技、またはみせかけに過ぎないのです。(つづく)
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by suna-tuki-mori | 2009-04-02 13:08
WHEREVER YOU GO, THERE YOU ARE
Mindfulness Meditation in Everyday Life
BY JON KABAT-ZINNより

You Have to Be Strong Enough to Be Weak
弱くあるためには十分に強くなければならない(1)

 もしあなたが強い意志を持って、何かを成し遂げた人であるなら、あなたは往々にして不適格であるとか、不安であるとか、傷つくとかいったこととは無縁であるような印象を人に与えているかもしれません。しかしそれはとても孤立した状態で、最終的に自分にも他人にも大きな痛みを引き起こします。ほかの人々は喜んでこの印象を受け入れ、みんなしてあなたに「ジブラルタルの岩」(頼もしい人、頼りになるもの)というペルソナ(仮面)を投影するでしょう。でもその仮面は、あなたを、自分のリアルな感情を持つことから遠ざけてしまいます。
実際、そうした保護膜のもつイメージやオーラに酔っているうちに、その後ろにかくれた自分自身の真の感情は、簡単にわからなくなってしまうのです。こうした孤立状態は、核家族の父親たちや、比較的地位のある人々には非常によく起こります。
 瞑想の実践を通して自分を強くしようと思うことは、同様のジレンマを引き起こします。あなたは、完璧に傷のない、正しい瞑想者という役割を信じ、それを実演し始めます。つまり、すべてを自分のコントロールの下に置き、反応としての感情に巻き込まれることなくすべてのことに対処できるほどに賢明な人、という役割を。こうした過程において、あなたは自分自身でも気がつかないうちに、自分の成長を阻止するることになるのです。私たちは誰でも、感情をもっています。そこから自分を隔離してしまうことは、自分自身を危険にさらすことになるのです。(つづく)





 
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by suna-tuki-mori | 2009-04-01 22:11