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Intimacy with yourself   アジャシャンティとエックハルト・トール

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~Radio Adyashanti とETTVの和訳を中心に~

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ひきつづき、Everyday Blessings by Jon & Myla Kabat-zinnより

Part Four   Mindfulness: A Way of Seeing
An Eighteen-Year Retreat

18年間のリトリート

 ジョン・カバットジンはこの項の最初でこう述べています。
 
「私たちがよりよい育児をし、自分たちも成長するために、子どもたちをちいさなブッダまたはちいさな禅のマスターとして見ることがとても役に立つのと同様、私(ジョン)は育児というのは長期間にわたるリトリート(人里はなれた場所などに集まって行う瞑想・修行などの会)と見なしてもよいのではないかとしばしば感じる。家族のなかにあって、子どもと親の両方に深遠で継続的な恩恵をもたらす、ある種の深くてとても凝縮された内的なワークを行う機会だ」

そしてその項の最後をこうむすんでいます。

「家庭生活の日々のスケジュールはもちろん、リトリートよりはるかに複雑で混沌としている。先頭に立って仕切る指導者は、たいていの場合子どもたちだ。彼らの変化や成長にともなってそれらの内容も変わる。ときには日替わりで、ときには瞬間瞬間で変化する。
 でも、Practice(実践・練習)はいつも同じだ。すなわち、完全にそこに在ること、出来事や、その出来事の経験に対して、裁いたり非難したりすることなく、深く見つめること。
 ただ在ること(to be fully present)、適切な行動、(appropriate action)、一瞬一瞬(moment by moment)。
 それらは、一日のうちの都合のよい時間に正式な練習(マインドフルネス瞑想)を行うことによって、よりしっかりと自分のなかに根付くだろう。しかし、必要不可欠なのは、確固たる意志を持って日常生活でマインドフルネスを育て、育児があなたに求めることに応え、それぞれの日が、またそれぞれの瞬間が私たちに気づきを深める機会を与えてくれることを受け入れることだ。
 そのようにして、朝起きることは「起床瞑想」になる。歯を磨くことは、「歯磨き瞑想」になり、赤ちゃんが泣いていて歯を磨くことができないことは、「歯磨きができないけど赤ちゃんの世話を先にしよう瞑想」になる。子どもに服を着せ、食卓をととのえ、学校に送り、仕事に行き、おしめを替え、買い物をし、いろいろな手配をし、掃除をし、料理すること、そうしたひとつひとつが全部、私たちのマインドフルネスの実践なのだ。全部が」
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by suna-tuki-mori | 2009-03-23 09:15
Losing it

失う (4)

 もし関係に癒しをもたらし、ここから何かを学ぶことを望むのなら、起こったできごとを認めず吟味もせずそのままにするのではなく、私が自分の行動に対する後悔と彼女の感情に対する配慮を示してやることは、私たち双方にとって、大変大切なことです。
 私はそうすることで、それを彼女のせいにしたり、大したことじゃなかったんだと思いこもうとするのではなく、起こった出来事の大きさを認識できます。
 次の日、出来事に距離をおいて考えられるようになれば、実際に何が起きていたか、そしてそのときどのように感じていたかということを話し合うこともできます。
 
 (親子間の)約束事をもう一度見直し、あらかじめ同意事項を作っておくことが役立つこともあります。この事件があってから、私たちは、お互いの注意をひきつけるような「合図」を決めて、何かまずいことが起こりそうだと感じたときには方向転換をするチャンスがもてるようにしました。
 望むらくは、このような小事件が起こるたびに、それを再び繰り返すことがないように、何か学ぶようにできるといいと思います。

 嵐のまっただ中にあるとき、一瞬立ち止まって、呼吸に気づきを導き入れ、そして必ずしもその瞬間に何かを解決する必要はないんだ、という許可を自分に与えることができれば、それは助けになるでしょう。
 In midst of the storm, it helps if we can stop for a moment, bring awareness to our breathing, and give ourselves permission to not necessarily have to solve anything in that moment.
 そうすることによって、コントロール不可能な自分の怒りに反応し、火に油を注ぐような状態になることも避けられます。
 怒りに自分を見失うことは恐ろしいことではありますが、起こったことを否定したり、過小評価せず、自分自身や子どもを責めることで無駄なエネルギーを浪費することもなく、自分の行動に責任をとらないでおいて、あんなことは起こらなければ良かったのに、とただ願うこともしないで、しっかり認識するならば、それを学びと成長の機会に変えることができます。
 それと同時に、年齢にもよりますが、子どもたちにそのできごとに対して彼ら自身が果たした役割を考えさせ、もっと効果的に自分の感情を表現するための戦略をたてることを助けることも必要です。彼らが困難な状況におかれたときに、違う選択肢を見つけることができるように。

(この項終り)
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by suna-tuki-mori | 2009-03-22 21:33
Losing it

失う(3)

 私は彼女に氷とタオルを運び、一緒に泣きました。お母さんのしたことはとてもひどいことで、あなたを傷つけてしまったことをとても悲しんでいる、と言いました。1時間くらいたって、むすめは私に抱きついて眠りました。
 私はひどい気分のままずっと眠れずに横たわっていました。なんというお休みなさいの時間だったことでしょう。

 こんな、ぞっとするような出来事であっても、たいていの場合は、次に同じようなことが起こったときにもっとうまくやり過ごせるための「何か」を学べるものです。
 私は自分に問いかけをすることから始めます。
 子どもが眠りに移行する過程を、もっとスムーズにしてあげる方法はなかっただろうか?
 ものごとを悪化させないために、自分の怒りやフラストレーションにどのように働きかけることができるだろう?

 子どもはひとりひとり、あまりにも違います。毎晩眠りにつくことが困難で、しかも起きるのもまた難しい子もいれば、お休みの子守歌やお話で十分な子もいます。
 時にはどんなことをしても、最悪の事態にむかっていくしかないような時もあります。その夜、暖炉のそばで読み聞かせをし、子どものベッドにすわって絵を描くことから始まったお休みの儀式は、みじめさの集合体のような結果に終わりました。もと違ったやり方があったでしょうか? 答えは明白なときもありますが、この状況では、まったくわかりませんでした。
ときどき、こうした夜の嵐は不可避で、それがそれ自身をまっとうし、気がすむまで吹き渡るのを待つしかないように思えることもあります。(つづく)
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by suna-tuki-mori | 2009-03-21 22:01
Losing it

失う(2)

 そのとき私は、もう一人の娘が私たちにむかって、「静かにして!」と叫んでいるのを聴きました。もう起きていたのです。いまやもっと腹がたってきました。私は私のベッドにいるほうの娘に、静かにしなさいと言いました。その子は騒ぎ続け、ベッドをどしんどしんとさせ、文句を言い続けましたので、最後には私のフラストレーションは限界に達し、どうしようもなくなって彼女のほっぺたをぴしゃりとたたきました。娘は泣き出し、さらに大きな声で叫びました。もう一人の娘もまた、静かにして、と叫んでいます。私は娘をたたいたことで、ひどい気分になっていました。娘は、私は児童虐待者だから、警察を呼ぶ、と言いました。私自身は、恥ずかしさと後悔で、からだが麻痺してしまったような状態でした。それはまるで広大な悪夢のまっただ中にいるような気持ちでした。近所中に響き渡るような声で20分ばかり泣いたり叫んだりしたあと、娘はお父さんを呼んで、と言いましたが、夫は家にはいませんでした。そしてとうとう、彼女はすすり泣きを始めました。「ママ~!」と言って・・・・・・(つづく)
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by suna-tuki-mori | 2009-03-19 23:27
Everyday Blessings(Jon & Myla Kabat-Zinn)
Part Ten Darkness and Light より

Losing it (失う)1

 どんな親でも、時にはそれを失います。かんしゃくを起こし、怒りに自分を見失うのです。心のバランスを失い、行くべき道を見失い、尊厳を失い、自尊心を失います。何がそれを引き起こしたにせよ、実際にそれが起こったときには、深い痛みをともないます。
 そのような出来事はだいたい、私たちがとても疲れていて、自分の限界に近い状態にあるときに起こります。強いフラストレーションの感情がわき起こり、その感情に気づくのが遅れたり、どうやってギアを切り替えることができるのかわからなくなったり、ときにはもうどうにでもなれと思ったりするのです。
 「失う」ことは、叫んだり、怒鳴ったり、意地悪なものの言い方をする、というような形をとったりします。ときには激昂して、(子どもを)たたいたりぶったりします。そしてその直後、私たちはひどい気分になり、自分自身に怒りを感じ、子どもにすまない気持ちになります。一瞬にして、悪夢のまっただなかに放り込まれるのです。
 私、マイラ・カバット・ジンが経験した例をあげましょう。

 私は娘たちの内の一人を、寝かしつけていました。その子はとても寝付きの悪い子で、8歳にしてとても夜更かしで、いつまででも起きていられるような子どもでした。私はといえば、夜10時過ぎたころにはひどい状態になり、ちゃんと機能しなくなるくらいなのです。私は我慢強いほうではありません。その子は、寝るときにはとても神経質になり、あらゆることを気にします。何か食べたがったり、ひとりにされることをいやがったり、明かりが暗すぎる、と言ったりします。彼女を寝かしつけるときには、しばらくそばにすわっています。もし私から見て、(この夜もそうだったのですが)寝付くまでにとても時間がかかりそうで、とても起きてつきあってはいられない、と感じたときには、いっしょにお母さんのベッドで寝よう、と提案します。でも、こうも言います。「でもお母さんのベッドに来るなら、ちゃんとシャツをはおるのよ。それがルールですからね。じゃないとお母さんはあなたが風邪をひかないように、一晩中毛布であなたをくるみ続けないといけないんだから」。娘はもちろんこのルールを心得ていますが、一応は抵抗します。しかし最後にはシャツを着ます。けれどもすぐにこのシャツに不満を言い始め、ベッドをけったりパンチしたりし始めます。私はもっと着心地のよいシャツを用意してやりましたが、そのころまでには娘はもっと怒っていて、私に悪態をついていました。彼女はまた、明かりをつけたままにしてほしい、と要求し、私は消しなさい、と言います。ここまでくるともう、意地の張り合いです。
 私はこのままでは、もうひとりの娘が起きてしまう、と感じました。私は、娘の計略にまんまとはまったように、コントロールされているように感じました。とても無力です。ものごとがある方向に流れていって、自分にはその流れをとても変えられない、と思いました。(つづく)
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by suna-tuki-mori | 2009-03-16 13:22