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Intimacy with yourself   アジャシャンティとエックハルト・トール

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~Radio Adyashanti とETTVの和訳を中心に~

カテゴリ:エックハルト・トール( 10 )

仕事の締め切りが終わり、一段落したところでやっと「世界最速のインディアン」を見ました。
エックハルトはアメリカ映画特集の中で、二つほど「エゴのない人物」が登場する映画を紹介しました。そのうちひとつがこれです。
主人公はアンソニー・ホプキンズ演じるバート・マンローという男性なんですが、この人、実在の人物なんですね。
時代背景は1960年代ニュージーランド。バートは(奥さんに出て行かれた)一人暮らしの男性(63歳)なのですが、オートパイが大好き。私はオートバイについてはまったくわかりませんが、今のとは違って(今もあるのか?)流線形の車体があり、そこにすっぽり体を入れて中に乗り込むタイプ。バートは1920年型のモデルを自分で改良した「インディアン・スカウト号」で、ライダーの聖地(らしい)アメリカはユタ州のボンヌヴィル塩平原でのレースをめざします。
お金も足りず、心臓と前立腺に持病を持ちながら、ニュージーランドから船でアメリカへ、アメリカ国内は中古車を買ってバイクを牽引しながら、さまざまな人に出会いさまざまな困難を乗り越えついにボンヌヴィルに到着する。そして・・・・・・
というあらすじなのですが、「エゴのない」バート・マンロー、実は結構な困ったちゃんなんですね。
自分の家の芝を刈らないのでご近所から文句がくると、庭に火を放って燃やしちゃおうとするし、ボンヌヴィルに到着したものの、出場するための登録をしていなかった(必要だと知らなかった)ため出場できないといわれ「ニュージーランドからわざわざ来たんだから出場させろ」と駄々をこねたり・・・・・・
でも人々は結局彼の魅力に負け、彼の情熱に巻き込まれていきます。
ホテルのフロントのニューハーフしかり、中古車のセールスマンしかり、ボンヌヴィルのレースのオフィシャルしかり。それはバートが出会う人も、立ちはだかる困難もただありのままに受け入れ、くさらずあきらめず、そのとき自分にできることをやっていくから。

この映画を見て「エゴのない人」はこういう人、という定義づけなんて、無意味だなあと思いました。エックハルトの紹介してた映画、見たらまた順次紹介しようと思います。
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by suna-tuki-mori | 2011-06-15 15:36 | エックハルト・トール
私にはこれらのことのうち何一つ、自分が「やっている」という感覚はありませんでした。
私はただそれと共にいました。私は個人として話していたのでしょうか? いいえ。Consciousnessが話していました。このマインドを使って、この瞬間にとって一番助けになることを表現するために。私はただその役目を果たしていました。あなたたちも役目を果たしているのです。分離した存在としてなにかを「しなければ」ならないという考えを捨てましょう。この世界で表現されたいと願っているものに対してオープンになりましょう。そうすればあなたを通して「目覚めた行動」が自然に起こってきます。

それとつながっていることはわくわくするような冒険です。この時代には、表現されたいと願っていることが山ほどあります。その意志は、人を選ばずやってきます。「あなたが特別だから、あなたを選びます」などとは言いません。誰かがそれに対して透明になったとき、それはやってくるのです。「あなたは誰ですか? 資格は持っていますか」などとは尋ねられません。また「どんな経歴の持ち主ですか? あなたはそれに値する人物ですか?」とも言いません。それは時間のない存在です。あなたの過去や、徳の高さなどにはまったく興味を持ちません。開いている場所があれば、光はそこを通して輝きだすのです。

(この項終わり)
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by suna-tuki-mori | 2011-05-15 08:49 | エックハルト・トール
私に意識のシフトが起こってから数年間、外面的にはほとんど何も起こりませんでした。その後、少しずつ人々が私に質問をしにきました。行動し、話をするということが起こり始めました。突然答えがやってくるということが数年間続きました。何かの力がそこに働いているということはわかっていましたが、どういうわけかその力はたくさんの人には届きませんでした。それはまだ起こっていなかったのです。それでもかまいませんでした。人々は週に一度か二度くらいやってきて、質問をしていくのでした。ところどころでぽつぽつとワークショップを開き、その間は何もない、という状態でした。

あるとき私は、イングランドのSomersetの小さな村にあるカントリー・チャーチにいました。教会にはほかに誰もいませんでした。そして突然、私の口から言葉が出てきました。「私を使ってください」そして、「どうか加速してください」。誰にむかって言ったのかはわかりません。その言葉がどこからきたのかもわかりません。意識はそれを聞いていたようです。最初は何も起こらず、私は家に帰りました。数週間が過ぎたころ、私はある朝目覚めて、イングランドを離れて北米の西海岸に行かなければならないと知りました。理由はわかりません。それが始まりで、結果的にそこで私は本を書き始めました。そのようにして加速が起こりました。その時点では私は、それが自分が望んだ加速の一部だということには気づいていませんでした。そのときから色々なものごとがどんどん加速していきました。何か望みを口にするときには、用心したほうがいいですよ。
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by suna-tuki-mori | 2011-05-15 00:43 | エックハルト・トール
Presence の力を侮ってはならない。一見してまだたいしたことは起こっていないように見えても、あなたを通してものすごいパワーがこの世界に流れこんでいる。“それ”が何を求めているかなんて、理解しようと試みることすらしないほうがいい。なぜならあなたにできるのは、“それ”の究極的な目的のほんの一端をちらりと見るくらいがせいぜいだからだ。あなたを通じてこの世界にやってきたがっているその巨大なパワーの最終的な目的を、頭で理解できる人間など、この世に一人もいない。

エックハルト・トール
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by suna-tuki-mori | 2011-01-23 10:30 | エックハルト・トール
エックハルトは創造性の話を始める導入として、コメディアン(日本ではもうあまり使わない言葉ですね~。今でいうなら芸人かな? いや芸人とコメディアンは違うのかしら)の話を例に取ります。エックハルトによれば、優れた    stand-up comedian(ピン芸人?)というのは、ちょっと見にはまったく関係ないように思える二つのものの間に本能的(spontaneously)に普通の人には思いつかないような関連性を見つけてひょいと結びつけてみせ、みんなを笑わせるのだが、舞台上で即興でそれをやるにしろ、入念にネタを準備するにしろ、そのときには彼らは、自分の内面の奥深くにある「力」に触れているのだそうです。
それから彼はこんなことをいいます。

It is wonderful to be able to be in touch with that and feel the power that flow form there   out into this world.
Now for that you need of course some kind of vehicle for it. Because the power need to    flow into some kind of form.

それ(ふいに自分の深い部分から立ち上がってくる力)に触れて、この世界に流れ込んでくるその力を感じることは素晴らしいことです。
ところで、その力はある種のvehicle(手段、媒体?)を必要とします。なぜならこの世界ではその力はある種の形を持たなければならないからです(意訳)。

エックハルトは、もしそこに十分に発達したvehicle(たとえば音楽とか絵画とか学問やビジネスでの斬新な発想とかいうような)がない場合にはその力は、人々が普通はcreativityとは呼ばないような形であらわれるのだというのです。
それはたとえば、人と人との関係性におけるある種のヒーリングパワーのような形をとることもある、と。

(つづく)
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by suna-tuki-mori | 2010-10-07 23:12 | エックハルト・トール
Creativity が、今月のトピックのテーマ。
奇しくもというか、必然というか、今の私に一番必要なテーマでした。

The canvas for your work of art is your everyday life.
 
日々を生きることこそが芸術なのだというエックハルト。
アーティストでもなんでもない、ふつーの人々にとって、クリエイティブに生きるとはどういうことなんでしょうか。
また途中なので、聞き終わったら報告します!!
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by suna-tuki-mori | 2010-10-02 21:50 | エックハルト・トール
(前回からのつづき)
 それからエックハルトは少々唐突に数年前見たというSF映画の話を始めます。その映画の中では現在のある都市に、未来からタイムトラベラーがやってくるそうです。未来からきたということがばれてしまったその人は、何をしにきたのかと問い詰められて、その場所で数日後に大災害が起こって大勢の犠牲者が出ることになっているので、それをただ見物したくて来たのだと告白するのです。パニックに陥った人々は、そのタイムトラベラーに「その災害をどうにかして防いでくれ」と頼むのですが、彼は「それは不可能だ」と断ります。「お前はそれで平気なのか? 俺たちを救うために何かしようとは思わないのか」と問われ、彼は言ったそうです。
「そんなこと、思いませんよ。だってあなた方、もうとっくに死んでいるんですから」
「私がなぜこんな話をするのか、って思っていますか?」エックハルトは自問するように言って、笑います。「なぜなら、形としての命(The life of form)はあまりにも短命で、はかなく、束の間なので、もしかしたら自分を既に死んでいるものと考えるといいかもしれないと思うからです」
「ネガティブな考えでしょうか? そうですね、たぶん、思考にとっては。私は何かの儀式のようなことを言ってるんじゃありませんよ。形としての命に執着することから自由になるための、内的な心構え(Inner attitude)として提案しているのです」
「あなたがもう死んでいるとしたら、人生に起こる出来事をJudge する必要がなくなります。それは大いなる解放です。反応(reaction)と判断(judgement)を通して生きていた人格の部分のあなたが死ぬのです」
私はもう死んでいる? ちょっとばかり無理に思える提案ですが、エックハルトはこれをどんな話につなげようとしているのでしょうか。
(つづく・・・・・たぶん)
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by suna-tuki-mori | 2010-09-13 00:01 | エックハルト・トール
 毎月のお楽しみに、ETTV(エックハルト・トール・テレビ)が配信する「今月のトピック」があります。有料なのですが、月一回エックハルトがさまざまなテーマで少数の聴衆の前で行ったトークを配信してくれます。その他、会員からの質問に答えてくれるコーナー、パートナーのキムさんのコーナーなどもあります。
 今月のトークを、エックハルトは2012年に関する予言で始めます。彼のもとにもさまざまな人から2012年に関する質問が寄せられているようです。「この世界の終わりがやってくるのか?」「人類は滅亡するのか?」と。
 エックハルトは「私は未来について語ることはふだんはしないのですが」と前置きします。「だって、究極的には未来なんてものは存在しないんですからね」
「でもきょうはあえて、この世の終わりについて、予言をします。今地球上に生きているすべての人類は、みーんな、滅亡するでしょう」そして一呼吸おいてから、茶目っ気たっぷりに微笑みます。「そうだね、これから80年から90年のうちには。みーんなですよ。どうです、恐ろしいでしょう」
聴衆から笑いが沸き起こります。
「後から生まれた子供たちはもう少し生き残るかもしれませんね。オーケー。生き残る人もいる。大いに結構。でもまあ、それもたいした慰めにはならないよね。自分が死んでしまえば」
「みーんな地球上からいなくなります。老衰や病気、あるいは事故によってもたらされる死と呼ばれる恐ろしい病気によって。それが実質的な『この世の終わり』です。少なくとも、あなた自身に関する限りではね。ね、そんなに恐くはないでしょう」

(つづく)
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by suna-tuki-mori | 2010-09-09 23:09 | エックハルト・トール
今日は、先日書いた「言葉よりずっと大切なもの」の著者、ジェニー・マッカーシーがオプラとエックハルト・トーレのウェブセミナー(第四回)でした質問について。
ジェニーの質問は、「母親の罪悪感について」でした。
ジェニーは、たくさんの母親たちに共通の罪悪感を3つにまとめ、

1.フルタイムで働く母親たちの、子どものそばにいてやれないことへの罪悪感
2.専業主婦の母親たちの、一日中子どもの世話をすることにあきあきしてしまうことへの罪悪感
3.自閉症(あるいはなんであれ、その子どもの持つ病気、障害など)の子を持つ母親たちの、子どもが今のような状態にあるのは自分になにか落ち度があるのではないかという罪悪感

について、どのように考えたらいいのか、エックハルトに質問しました。
それを聞いたエックハルトはまず、ジェニーの本を原稿の段階で読んだことを伝え、彼女が、息子のエヴァンが自閉症であると診断されたとき、ふつうなら自己憐憫に陥ってもおかしくないところを、状況に勇敢に立ち向かい、乏しい情報のなかから息子のために自分のできるすべての手段をとり、またそれらの情報を、ほかの人のために役立つように発信したことに対して、賛辞を送ったあとで、こういいます。

「そうした罪悪感は、対象となる内容ではなく、エゴの構造からきています。
あなたはできることをすべてしました。驚きませんか。それでもなお、あなたは罪悪感を抱くのですよ。

罪悪感は、思考プロセスの構造が作り出すものです。
このことを理解しないかぎり、あなたは内容の領域に答えを求めようとするでしょう。
内容というのは、言い換えれば状況です。
つまり、状況を変えれば、罪悪感は消えるのではないか考え、行動のレベルで外側の状況を変えることで解決しようとするのです。
でもそのレベルで何をどう変えようと、罪悪感は戻ってきます。
なぜなら、人間の能力には限界があるからです。
あなたは同時に二つのことはできません。
職場と家に同時にいることはできないのです。

ですから、用心しましょう。
エゴの構造は、状況とは何も関係ないのです。

エゴのお仕事のひとつは、他人を非難することです。
もうひとつは、自分を責めることです。
この二つは、あなたのネガティブなアイデンティティーの感覚を強化します。

エゴは、強いアイデンティティーを求めます。
そして、ネガティブなアイデンティティーほど強いアイデンティティーはないのです。
エゴは強い罪悪感を抱くことによって、自分自身をより強化しようとするのです。
それがエゴの構造なのです。

客観的に見れば、そうした罪悪感は妥当なものではありません。その実体は、あなたの思考が、古い条件付けに従って働いているだけのことです。
罪悪感がやってきたとき、それが実際に有効なものではなく、エゴによって作り出された思考に過ぎないと認識すれば、それらの思考は次第に、一度にというわけではありませんが、あなたに対してのパワーを失っていきます」

この部分は、私にとってもアハ!モーメントで、何度も聞きなおした部分です。
母親なら誰でも抱いたことのある罪悪感・・・・・・
でもそれがただ、エゴの構造から来ていたなんて。
もちろん、それを知ったからといってすぐに罪悪感が消えるわけじゃないど、でも何かの道標にはなるかな、と思って、書いてみました。
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by suna-tuki-mori | 2009-06-30 22:14 | エックハルト・トール
近所のツタヤを何気なくのぞいたら、「言葉よりずっと大切なもの」(WAVE出版)という本を見つけました。
ニュー・アースのウェブセミナーの4回に電話で登場したジェニー・マッカーシーという女優さんの書いた本です。
彼女とオプラやエックハルトとの会話を聞いて、どんな本なのかずっと興味をもっていたので、きっとぱっと目に入ったのだと思います。
ジェニー・マッカーシーという女優さんは、プレイメイト出身のセクシー系の女優らしく、本のなかにもそのことが書いてありますが、とてもパワフルでかつ知的な女性のようです。
愛する息子が2歳のとき自閉症と診断されたときから、彼女のすさまじい執念のたたかいが始まります。
「自閉症を治す」という、現代の医学では不可能とされている課題に果敢に挑む母親としての使命感には、ほんとうに頭が下がります。

偶然ではないのでしょう。
治療教育者の川手鷹彦氏の翻訳された、ドナ・ウィリアムズさんの「自閉症という体験――失われた感覚を持つ人びと――」(誠信書房)をほぼ同時期に手にしました。
ドナは、「自閉症だった私へ」という本が数年前に大変話題になりました。自閉症者が自らの体験をつづるということがまだ大変めずらしかった時代に、その先駆となる手記を書いた女性です。自伝的な色彩の濃かった今までの本にくらべ、今回日本で出版された「自閉症という体験」は、著者が苦悩を乗り越えて、みずからの内側を、訳者の言葉を借りれば、「詩的哲学的言語に結晶させた」ものです。
まだ読み始めたばかりですが、その内容は衝撃的でした。
自分のつたなさゆえに、ここに書くことができないのがもどかしいのですが、「自閉症」とよばれる人々はもしかしたら、エゴのない世界と、こちらの世界(〈解釈システム〉に支配された世界)とを自らの意志に反していったりきたりさせられている人々なのかもしれない、と感じさせる内容でした。

訳者解説のなかに、こんな文章がでてきます。


ところがここに、生まれたときの〈感覚〉を大人になっても持ち続け、〈解釈〉を使わないか、使えない人びとが登場する。彼らは世の常識に照らし合わせ、「障害」「遅滞」「異常」「弱者」「変人」などと名付けられ、その「障害」を取り除こう、その「遅滞」から回復させよう、その「異常」であることを取り上げて解明しよう、「弱者」ゆえに守ろう、「変人」ゆえに避けよう、などと判断される。
 でれども〈自閉症〉を始めとする、特別な心身の状態を有する人々は、必ずしもそれらの強制や訓練を望んでいないどころか、それらによって深く傷つけられることさえある。自らの存在基盤である〈感覚〉が〈解釈〉によって著しく侵食され動揺させられるからだ。
 それどころか著者は、〈感覚システム〉を失っていない〈自閉症〉の人びとの在り方こそが、社会を荒廃から救い、その再生へと向かわせる(道標)になると示唆している・・・・・・


ジェニー・マッカーシーの本のなかには、1970年代には1万人に一人だった自閉症の子どもは、いまや150人に一人の割合で生まれてくると書いてあります。もしこれが彼女の本にあるように、予防接種が原因のひとつであるとしたら、まさに自然界に対する人間のエゴ(思考)の挑戦である現代医学の産物(ワクチン)が、インディゴやクリスタルといわれる、新しい地球をつくるために生まれてくるといわれている子どもたちを生み出していることになります。まさに、トールが書いているとおり、

If the egoic earth drama has any purpose at all, it is an indirect one: It creates more and more suffering on the planet, and suffering, althogh
largely ego-created, is in the end also ego-destructive. It is the fire in which the ego burns itself up.


エゴは最終的には、自ら作り出した苦しみの炎で、自分を焼き尽くすことになるわけです・・・・・・

この二冊の本は、たくさんの気づきを与えてくれそうなので、また書きたいと思います・・・・・・
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by suna-tuki-mori | 2009-05-28 11:46 | エックハルト・トール