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Intimacy with yourself   アジャシャンティとエックハルト・トール

mindfulday.exblog.jp

~Radio Adyashanti とETTVの和訳を中心に~

カテゴリ:アジャシャンティ( 46 )

アジャシャンティの教えは、私にとって、とても特別です。
どこへ行っても、また帰ってくるのはこの場所です。
本は何冊か出版されてるけれど、彼の教えのエッセンスを伝える媒体があんまりない。
エッセンスといえるかどうかわかりませんが「自由への道」からはじまって、オンラインコースを(ひとつだけぬかしてますが)ずっと受講してきて、わかってきたことがあります。
もういちど、The Way of Liberation の第一回から聞き直して、自分なりにまとめたい、という気持ちが強くなりました。
仕事のかたわらなので、ほんとに少しずつですけど、やっていこうと思います。
本当にやりたいことなので、ガンバリマス。

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by suna-tuki-mori | 2016-09-14 19:26 | アジャシャンティ
私は話をするとき、目の前の聴衆のことは全く考えていません。彼らが何を期待しているか、何を聞きたがっているか、どんな話を望んでいるかは全く意識に入りません。
そうすることで、自分の創造的な源と完全に結びつくためです。
しかし、矛盾するようですが、私が聴衆を意識しないでいればいるほど、彼らはより深く、その場に参加することができるのです。

Radio Adyashanti Program "Creativity and the Call of Spirit"
より

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by suna-tuki-mori | 2016-09-13 22:53 | アジャシャンティ
アジャシャンティに出会ったのは4年ほど前。
「あなたの世界の終わり」を読んだのが初めてだったと思います。
そのときは、あまりよくわかりませんでした。
でもその後、何かの拍子に彼の声を聴いて、ひかれるようになり、それからずっと彼をフォローしています。
オンライン講座もだいたい受講しています。

最近は、Sound True社が週1で配信してくれるアジャさんの30分くらいのトークを楽しみにしています。講座のようにテーマが決まっているわけではなく、でも一応”Moment of Grace"というタイトルはあって、毎回いろいろな話を自由にしてくれます。

そんなアジャさんのことを書きたいと思いながらなかなかブログが続かないのは、完璧を目指しすぎているからだと気づき、ほんのひとことでもいいから、これからできるだけ頻繁に、なるべく継続して書こうと決めました。

アジャさんの教えの特徴は「スピリチュアル消費者にならない」ということだと思います。
アジャシャンティは「悟りを得たい」「成長したい」という願いを上に向かう上昇の動きとよく表現します。
それは悪いことではなく、プロセスの一環ではある。
でも、本来は下降の動き、命に対して何を差し出せるかということが重要なのだと言います。

アジャさんの教えのそういうところが、一番私の肌になじみ、共感します。
自分が何を差し出せるか。
引き替えに何も得られなくとも、誰も気づかなくても、正体のわからない透明なものに自分を差し出したい。←(どこかできいたセリフ、と思ったら「トーマの心臓」にこんな表現ありましたね。同世代の人しかわからないか……)
そういう意味不明な衝動を感じたことのある人には、きっとアジャさんの教えが合うのだと思います。


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by suna-tuki-mori | 2016-09-12 00:23 | アジャシャンティ
今回のThe Art of Meditation のコースは、第1週目から3週目までは、セッションのあとに、誘導瞑想と、日常生活で実践するエクササイズが配信されます。
誘導瞑想は毎回テーマが変わり、より深くなっていきます。

アジャさんの瞑想はものすごくシンプルです。

快適ないす、または床にすわり、できれば背中をまっすぐにした状態で、てのひらを上にして、左手の親指以外の4本の指を、右手の4本の指の上に重ね、それから右の親指に左の親指を軽くのせる感じで組み、ひざにおきます。
こうした姿勢は、究極的にはオープンな状態を作るためにあるそうです。
姿勢は意識の状態に大きな影響があるからです。

そして自分のリズムで自然な呼吸をしながら、頭のあたりにある意識を首、肩、胸、下腹、おへその下へと下ろしていきます。
おへその下まできたら、そっと呼吸に意識を向けます。

重要なことは、何かを起こそうとか、特別な体験を促そうとしないこと。

おかしなたとえですが、風邪をひきたいなと思ったら、風邪を引いた人のそばにいったり、風邪をひきそうな行動をするでしょう? それで確実に風邪を引くかどうかはわからなくとも。
そのように、適切なやり方ですわって、自然な呼吸をすることは、土壌を作ることです。
可能性を拓くということです。

あとはただ、呼吸に意識を向けている。
そして注意がそれて、迷い始めたと気づいたら、またそっと呼吸に注意を戻す。
(そのとき、自分を責める気持ちがなければないほどよい。コントロールしようとか押さえつけようとすると遠ざかる。頑張らない)
ただシンプルに、気づいたらそっと戻る、を繰り返す。

自分自身の、自然な呼吸のリズムに従う。
体のリズムについていく。寄り添う。
すると体はリラックスし、神経系が穏やかになっていきます。

うちがわの静かな場所に、耳をすませる。
うちがわの静寂に聴き入る。

するとその静寂は育っていく。
だんだん広がっていく。

これをできれば毎日20分は続けるとよいでしょう。
そして目を開けてもしばらく、その静寂が持続している感覚を味わいましょう。




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by suna-tuki-mori | 2016-03-14 10:18 | アジャシャンティ
この訳語が適切かどうかはわからないのですが。

The Art of Meditation の4回目の続きです。

アジャシャンティは”Efforless effort" という語を好んで使います。

セッションの最後のほうでも、瞑想は最終的にこのエフォートレスエフォート(結局カタカナやん)に集約されるというようなことを言っています。

第1回めの、瞑想の型の習得のところでは「思考に降参する」ことを最初にやりました。

つまり抑えつけない、コントロールしない、しようともしない、ということなのですが、だからといってただ思考に身を任せるということでもないのです。

ただ考え事して時間が終わってしまっては元も子もない。

それゆえ、思考に向けていた注意を呼吸に向ける、という努力をします。

でもそれは最小限の努力、努力ともいえない努力なのです。頑張るとうまくいかないのです。

この加減が、キモなのかなと、私は思いました。

これは今までの(思考に向かっていた)注意を、意識を別のところに向けるという、いわば「長年の習慣を変える」努力です。

だからすぐうまくいくわけはないのです。

何度も何度も、失敗してはまた戻る、忘れてはまた戻るという繰り返しなのです。

でも頑張らない、ゆるく、軽やかに、だけど、辛抱強く。

だけど確実に結果は出ます。


セッションの後半でアジャさんと、参加者が直接電話で話すのが聞けます。

最近、そのやりとりを聞いていると、参加者の方たちが明らかにすごく、クリアになってきてるという感じがします。

私などがいえる立場ではないのですが、なんとなくわかります。

そのあたりも、私がアジャさんのやり方にとても引かれる理由です。







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by suna-tuki-mori | 2016-03-12 14:02 | アジャシャンティ
今日、The Art of Meditation の4回目を聞いていて、「あっ」と思ったことがありました。

以前、リトリートの日課という記事を書いたのですが、そこに、Silent Sitting を勝手に「瞑想」と訳して書いたのです。

しかし、アジャさんがそこにMeditationという語を使ってないのには意味があったのです。

瞑想を続けていくに従い、次第に瞑想しているときと、普段の日常との間に差がなくなっていく。

やがて、「ただ静かに座っている」状態が、瞑想しているのと同じになる。

そういうことだったんですね。

またアジャさんはよく、アジャさんが瞑想しているというと、『まだ瞑想しているんですか? あなたほどクリアになれば、もう必要ないのでは?』と言われるそうです。

でも、アジャさんは瞑想を必要だとか必要でないとか「ゴールをめざすための手段」とは考えていないといいます。

「静寂はやがてあなたの一部となり、日常すべてが瞑想のときのような意識状態になっていきます。

それでもなお私たちはときどき、特別に静かな時間を自分のために(特にスピリチュアルなイベントという文脈で捉えることもなくとも)割くことを好む性質を持っているようです。

その理由はただそれが(非常に静かであることが)私たちの本質であること、そしてわれわれが静寂によって滋養を得る存在であるからでしょう」



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by suna-tuki-mori | 2016-03-10 00:32 | アジャシャンティ
(前略)このようにして瞑想が深まってくると、ときどき、瞑想者が消えるということが起こります。
そのような体験をすると「わあ、すごい! 瞑想の質が変わったぞ。あれはどうしてそうなったんだろう。どうしたらまた体験できるのかな。どうやったら再現できるだろう」と考えてしまいがちです。
そして瞑想のたびにまた「あの(瞑想者がいなくなる)体験」を見つめたり、待ったりしてしまいます。
誰しもそのような経験はあるでしょう。
でもみなさんご存知のように、そのような姿勢、つまりまたその状態を「起こそう」「再現しよう」とする行為は、結果的に「瞑想者」の存在を強固にしてしまうのです。

そんな状態に陥ったときに、ごくごくシンプルな瞑想の方法を知っていることはとても役に立ちます。
それを知っていれば、またいつでも1からやり直す、基本に立ち戻ることができるからです。







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by suna-tuki-mori | 2016-03-07 23:53 | アジャシャンティ
きのう、同じタイトルで記事を書いたのですが、あんまりにも感情をこめすぎて恥ずかしくなったので消してしまいました……
えー
瞑想のコースを終えてから、何度かセッションを聞き直すうちに、アジャさんの言ってることの深さにどんどん共鳴しています。

そしてその深さに圧倒されています。

私はあまり悟り系の本を読んでないですが、アジャさんはやっぱりものすごく独自路線のような気がします。

強調するところが違うんですよね。

そこがわたし個人的にすごくはまるツボなのだと思います。

誰がよくてだれが間違ってるとか言ってるのではもちろんないです! そういうことを言ってたらたぶん真正じゃないって感じ、わかるよね。

アジャさんの話を聞いていると、聞いているうちにだんだん、透明になってくる気がする。

聞いてるだけでしんと静まり返る。

うちがわの、存在の源に触れるうちに、ちいさな自己が崩壊していく、実況中継をしてくれる。


あー

アジャさんの翻訳してDVD作りたいな……

などと思うきょうこのごろです。



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by suna-tuki-mori | 2016-03-06 12:19 | アジャシャンティ
最後のセッションでアジャシャンティが言っていた。
僕は子供のころから、僕にどう思われるかなんでみじんも気にしてないひとが好きだった。と。

なんだか勇気が出た。
本当にそうだな。

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by suna-tuki-mori | 2016-03-04 12:34 | アジャシャンティ
す、すみません……
リトリート後、何か満足感とともに完結した感じがして、レポートを途中であきらめてしまいました……
内容についてはアジャさんのサイトから2015年10月グランリバッケンでダウンロードできますので、ごめんなさい。

この2月はThe Art of Meditationつまり瞑想についてのオンラインコースが4週にわたってありました。
すごくよかったです。

その中から一言。

瞑想の技法の初歩は楽器を習得するときに似ています。
楽器を習うとき、日に何時間もただかきならしても意味がないでしょう。
1日10分でも、正しい手法を習って練習したほうがずっと上達しますよね。
瞑想も同じです。
量ではなく質なのです。

1時間も2時間も、思考との戦いに費やす人が多すぎるとアジャはいいます。
それだったら短い時間でも正しい手法で座った方がよいとのことです。
(正しいというのは語弊があるかもしれませんが、コースではどのような姿勢〔体の姿勢だけでなく取り組む姿勢が大事〕で瞑想すればいいかを教えてくれます)

私には彼の瞑想とても向いているようです。

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by suna-tuki-mori | 2016-03-01 08:56 | アジャシャンティ