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Intimacy with yourself   アジャシャンティ的な何か。

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~Radio Adyashanti と オンラインコースの感想を中心に~

カテゴリ:アジャシャンティ( 50 )

アジャさんのオンラインコース第3回。
テーマは「恐れより愛を選ぶ。」
アジャさんの説明はあくまでも実践的で、理論的に走らない。
選ぶ人はいるのか? とかそもそも選択することはできるのか? とかそういう悟り系の人がハマる論議にはまったく興味がないそうです。

そういう疑問は本来の道から外れていくことでしかない。
ただ選ぶ。そのための筋トレ?の方法を、アジャさんは教えてくれる。

ものすごくシンプルで具体的なんだけど、意外にむずかしい。
今回でたエクササイズなんて、日本流にいえば「一日一善」なんですよ。
でもやること自体よりも、やったことで自分に起こる変化。
そこが、アジャさんのエクササイズのキモなんですね・・・・・・

また報告します。

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by suna-tuki-mori | 2017-03-26 08:49 | アジャシャンティ
Loving Conversationで重要なことは、肚を意識すること。そして頭でもなくハートでもなく肚のあたりで相手の人と糸のようなものでつながっているのを感じること、とアジャさんは言います。
それは直感的なものだそうです。この「つながっている感覚」= sense of connectivityは アジャさんが会話において非常に重視している部分だそうです。
なぜ重要なのかといえば、そしてその糸をある意味「ガイド」のように用いるできるからです。これを練習すると、何かつながりが「切断される」ようなことが起こった場合に、あなたはそれを即座に感じることができるようになるからです。

アジャさんはこの方法を誰に教わったわけでもなく、自分で見つけたそうなのですが、これを始めたころ、シンプルな会話の中で、自分がたった一つの単語であってもなにか「適切でない wasn't accurate 」あるいは「真実でない was't true」ことを口にすると、その切断が起こることに気づき、ビックリしたそうです。

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by suna-tuki-mori | 2017-03-23 22:07 | アジャシャンティ
本日、Loving Conversation を初めて実践してみて感じたこと。
うーん、全然違う。
実家で親と話したのですが、自分自身の感じ方、立ち位置が全然違う。

アジャさんの方法はすごくシンプルで、ざっくりいうと

会話のとき肚を意識する。
会話の相手とのつながりを意識する(具体的な指示あり)
相手とのつながりが切れたと感じたとき、あるいは深まったと感じたとき、その直前に何があったか(自分の言葉、相手の言葉、言い方や感情など)を憶えておく

つながりが切れる時というのは大抵その前後に、微妙で気づかないくらいのことなんだけど、注意していると、必ず何かが起こっている。というのです。
で、これ、ほんとなんですよ~

とりあえず、しばらく続けます。
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by suna-tuki-mori | 2017-03-22 17:37 | アジャシャンティ
お久しぶりです。
とうとう、仕事の長期のプロジェクトが終わり、やっとアジャさんの記事も更新できそう!
あのあと、今また新しいオンラインコース Fierce Love が始まっています。
これは、いかに日常生活に、愛を落とし込んでいくかというとってもプラクティカルなコース。
第二回は会話編。
すごくわかりやすくて、面白い。
今日から実践してみます。しばらく時間がかかるよと、アジャさんは言ってますが。
楽しいのでガンバリマス。
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by suna-tuki-mori | 2017-03-22 08:33 | アジャシャンティ
アジャシャンティの教えは、私にとって、とても特別です。
どこへ行っても、また帰ってくるのはこの場所です。
本は何冊か出版されてるけれど、彼の教えのエッセンスを伝える媒体があんまりない。
エッセンスといえるかどうかわかりませんが「自由への道」からはじまって、オンラインコースを(ひとつだけぬかしてますが)ずっと受講してきて、わかってきたことがあります。
もういちど、The Way of Liberation の第一回から聞き直して、自分なりにまとめたい、という気持ちが強くなりました。
仕事のかたわらなので、ほんとに少しずつですけど、やっていこうと思います。
本当にやりたいことなので、ガンバリマス。

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by suna-tuki-mori | 2016-09-14 19:26 | アジャシャンティ
私は話をするとき、目の前の聴衆のことは全く考えていません。彼らが何を期待しているか、何を聞きたがっているか、どんな話を望んでいるかは全く意識に入りません。
そうすることで、自分の創造的な源と完全に結びつくためです。
しかし、矛盾するようですが、私が聴衆を意識しないでいればいるほど、彼らはより深く、その場に参加することができるのです。

Radio Adyashanti Program "Creativity and the Call of Spirit"
より

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by suna-tuki-mori | 2016-09-13 22:53 | アジャシャンティ
アジャシャンティに出会ったのは4年ほど前。
「あなたの世界の終わり」を読んだのが初めてだったと思います。
そのときは、あまりよくわかりませんでした。
でもその後、何かの拍子に彼の声を聴いて、ひかれるようになり、それからずっと彼をフォローしています。
オンライン講座もだいたい受講しています。

最近は、Sound True社が週1で配信してくれるアジャさんの30分くらいのトークを楽しみにしています。講座のようにテーマが決まっているわけではなく、でも一応”Moment of Grace"というタイトルはあって、毎回いろいろな話を自由にしてくれます。

そんなアジャさんのことを書きたいと思いながらなかなかブログが続かないのは、完璧を目指しすぎているからだと気づき、ほんのひとことでもいいから、これからできるだけ頻繁に、なるべく継続して書こうと決めました。

アジャさんの教えの特徴は「スピリチュアル消費者にならない」ということだと思います。
アジャシャンティは「悟りを得たい」「成長したい」という願いを上に向かう上昇の動きとよく表現します。
それは悪いことではなく、プロセスの一環ではある。
でも、本来は下降の動き、命に対して何を差し出せるかということが重要なのだと言います。

アジャさんの教えのそういうところが、一番私の肌になじみ、共感します。
自分が何を差し出せるか。
引き替えに何も得られなくとも、誰も気づかなくても、正体のわからない透明なものに自分を差し出したい。←(どこかできいたセリフ、と思ったら「トーマの心臓」にこんな表現ありましたね。同世代の人しかわからないか……)
そういう意味不明な衝動を感じたことのある人には、きっとアジャさんの教えが合うのだと思います。


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by suna-tuki-mori | 2016-09-12 00:23 | アジャシャンティ
今回のThe Art of Meditation のコースは、第1週目から3週目までは、セッションのあとに、誘導瞑想と、日常生活で実践するエクササイズが配信されます。
誘導瞑想は毎回テーマが変わり、より深くなっていきます。

アジャさんの瞑想はものすごくシンプルです。

快適ないす、または床にすわり、できれば背中をまっすぐにした状態で、てのひらを上にして、左手の親指以外の4本の指を、右手の4本の指の上に重ね、それから右の親指に左の親指を軽くのせる感じで組み、ひざにおきます。
こうした姿勢は、究極的にはオープンな状態を作るためにあるそうです。
姿勢は意識の状態に大きな影響があるからです。

そして自分のリズムで自然な呼吸をしながら、頭のあたりにある意識を首、肩、胸、下腹、おへその下へと下ろしていきます。
おへその下まできたら、そっと呼吸に意識を向けます。

重要なことは、何かを起こそうとか、特別な体験を促そうとしないこと。

おかしなたとえですが、風邪をひきたいなと思ったら、風邪を引いた人のそばにいったり、風邪をひきそうな行動をするでしょう? それで確実に風邪を引くかどうかはわからなくとも。
そのように、適切なやり方ですわって、自然な呼吸をすることは、土壌を作ることです。
可能性を拓くということです。

あとはただ、呼吸に意識を向けている。
そして注意がそれて、迷い始めたと気づいたら、またそっと呼吸に注意を戻す。
(そのとき、自分を責める気持ちがなければないほどよい。コントロールしようとか押さえつけようとすると遠ざかる。頑張らない)
ただシンプルに、気づいたらそっと戻る、を繰り返す。

自分自身の、自然な呼吸のリズムに従う。
体のリズムについていく。寄り添う。
すると体はリラックスし、神経系が穏やかになっていきます。

うちがわの静かな場所に、耳をすませる。
うちがわの静寂に聴き入る。

するとその静寂は育っていく。
だんだん広がっていく。

これをできれば毎日20分は続けるとよいでしょう。
そして目を開けてもしばらく、その静寂が持続している感覚を味わいましょう。




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by suna-tuki-mori | 2016-03-14 10:18 | アジャシャンティ
この訳語が適切かどうかはわからないのですが。

The Art of Meditation の4回目の続きです。

アジャシャンティは”Efforless effort" という語を好んで使います。

セッションの最後のほうでも、瞑想は最終的にこのエフォートレスエフォート(結局カタカナやん)に集約されるというようなことを言っています。

第1回めの、瞑想の型の習得のところでは「思考に降参する」ことを最初にやりました。

つまり抑えつけない、コントロールしない、しようともしない、ということなのですが、だからといってただ思考に身を任せるということでもないのです。

ただ考え事して時間が終わってしまっては元も子もない。

それゆえ、思考に向けていた注意を呼吸に向ける、という努力をします。

でもそれは最小限の努力、努力ともいえない努力なのです。頑張るとうまくいかないのです。

この加減が、キモなのかなと、私は思いました。

これは今までの(思考に向かっていた)注意を、意識を別のところに向けるという、いわば「長年の習慣を変える」努力です。

だからすぐうまくいくわけはないのです。

何度も何度も、失敗してはまた戻る、忘れてはまた戻るという繰り返しなのです。

でも頑張らない、ゆるく、軽やかに、だけど、辛抱強く。

だけど確実に結果は出ます。


セッションの後半でアジャさんと、参加者が直接電話で話すのが聞けます。

最近、そのやりとりを聞いていると、参加者の方たちが明らかにすごく、クリアになってきてるという感じがします。

私などがいえる立場ではないのですが、なんとなくわかります。

そのあたりも、私がアジャさんのやり方にとても引かれる理由です。







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by suna-tuki-mori | 2016-03-12 14:02 | アジャシャンティ
今日、The Art of Meditation の4回目を聞いていて、「あっ」と思ったことがありました。

以前、リトリートの日課という記事を書いたのですが、そこに、Silent Sitting を勝手に「瞑想」と訳して書いたのです。

しかし、アジャさんがそこにMeditationという語を使ってないのには意味があったのです。

瞑想を続けていくに従い、次第に瞑想しているときと、普段の日常との間に差がなくなっていく。

やがて、「ただ静かに座っている」状態が、瞑想しているのと同じになる。

そういうことだったんですね。

またアジャさんはよく、アジャさんが瞑想しているというと、『まだ瞑想しているんですか? あなたほどクリアになれば、もう必要ないのでは?』と言われるそうです。

でも、アジャさんは瞑想を必要だとか必要でないとか「ゴールをめざすための手段」とは考えていないといいます。

「静寂はやがてあなたの一部となり、日常すべてが瞑想のときのような意識状態になっていきます。

それでもなお私たちはときどき、特別に静かな時間を自分のために(特にスピリチュアルなイベントという文脈で捉えることもなくとも)割くことを好む性質を持っているようです。

その理由はただそれが(非常に静かであることが)私たちの本質であること、そしてわれわれが静寂によって滋養を得る存在であるからでしょう」



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by suna-tuki-mori | 2016-03-10 00:32 | アジャシャンティ