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Intimacy with yourself   アジャシャンティ的な何か。

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~Radio Adyashanti と オンラインコースの感想を中心に~

2011年 06月 20日 ( 1 )

自由意志はあるのか? という会員からの質問に対するエックハルトからの答えをかいつまんで意訳します。

“Is there such thing as free will?”

というのがオリジナルな問いです。エックハルトは質問を受けたとき、それが抽象的な質問である場合にはできる限り具体的・日常的な例に落とし込んで答えようとします。
このような場合、質問を

“Do I have free will?” (私には自由意志があるのか?)

と言い換え、そして自分を観察(self observation)することが有効だといいます。
表面上、私たちは自由意志を持っています。何かをしようと決めて、それをすることができます。右手を上げよう、と思って右手を上げることもできれば、上げないという選択肢もあります。何を食べようか、何を着ようか、自分で決めることができます(この例は確かラマナ・マハリシの本にも出てきましたね。あれ? ラメッシだったかな)。
しかし、もしあなたが夜中に目ざめ、何か心配事を思い出して眠れなくなったとします。あなたは「さあ、目を覚ましてあと一時間くらい心配しよう」と思ってそうしたのでしょうか? それともそれはただ起こっているのでしょうか。
あるいはスーパーに行きます。それはもちろん自由意志で行ったのですが、並んだレジの列がなかなか進みません。見るとあなたの並んだレジの店員はものすごく手際が悪く、モタモタしています。イライラした気持ちがわいてくるでしょう。そのときあなたは「さあ、イライラしよう、本当にあの店員にイライラするぞ」と決めてそうしたのでしょうか。
それともそれはただあなたに起こり、あなたはイライラにのっとられたのでしょうか。
どうやらあなたにはコントロールできないみたいですね。

そうやって自己観察を続けましょう。
多くのことが内側からやってきてあなたをtake overすることに気づきますね。
思考、感情、反応、行動パターン、あなたのエゴの様々な側面が、ある特定の状況に呼応してやってきます。
そしておなじみのペインボディです。ペンボディが呼び覚まされると、エネルギーが全く変化し、別人のようになってしまいます。
こうしてみてくると、多くの場合あなたは自由意志を持っていないように思えてきます。

しかしその事実を理解することはとても有用です。それに気づいたということが、最初の一歩だからです。それに気がついたならば、あなたはもう100パーセント無意識の思うがままではありません。

自己観察を続けると、「観察する存在」があなたのなかで育ってきます。
それこそが唯一「限定された意味のI(通常あなたのふりをしているけれども、実はどこかからやってきては消えていくだけの何かとの同一化)」と「より深い意味でのI 」の統合をもたらすのです。
「私は怒っている」「私はイライラしている」と言っている「私(I)」は誰なのでしょうか。
たくさんの一時的な「I」があり、そのどれも本当の意味での「I」ではないのです。それらの「I」は互いに争うことさえします。

しかし、あなたたちは目覚めつつあります。
確かな一歩を踏み出しつつあるのです。
あなたたちは自分の内の、「時間のない、目覚めた存在」に気づいています。
それがあなたたちの中で育ってきます。育つ過程においては、今まで見えなかった「無意識な部分」が見えてきてしまうために、自分がかえって後戻りしているような感覚を持つこともあります。でもそうではありません。自分が今までいかに無意識に生きていたか、自由を制限されてきたかに気づくことで、自由への可能性が広がるのです。

その存在が育ってくれば、今までなら無意識にのっとられてしまったような状況で、選択することができるようになります。
思考はなおもやってきますが、それはあなたの中のより深い叡智からくるようになります。
自分が苦しんでいることにすら気づかないまま苦しんでいた段階から、あなたをのっとる無意識のパターンから抜け出せるようになるのです。
最初はむずかしいかもしれません。
しかし、インナーボディや、呼吸に意識を向けることで、少しずつできるようになります。

伝統的に、人々は人生で自分に起こること、または生れ落ちた状況をカルマと呼び、重要視します。しかし本当のカルマは、それらに対するあなたの反応(response)の中に起こってくるのです。そしてあなたが、与えられた状況に対しどのように反応するかで、次に起こることが決まるのです(ここでニヤっと笑うエックハルト。うっ、結構重要なことをさらっといいますね)。
カルマによる条件づけを破るには、あなたの人々や出来事、場所に対する反応の仕方を変えることです。そうすれば結果として起きる出来事も変わってきます。
(別の見方をする覚者もいますが、エックハルトは一貫してこのような見方をしていますね)

しかし、その最初の目覚め、それはどこから来るのでしょうか。
「目覚めよう」と選ぶことはできるのでしょうか。
エックハルトは言います。
一番最初の目覚めのきっかけは、ただやってくる。それは、恩寵です。
しかし一度でも「それ」を経験として知ったなら、あとは自分で選択して、それをあなたの人生に導き入れることができます。

でもそれも、どの視点をとるかによります。
一人ひとりの個人が「目覚め」を選ぶことができる。という考え方があります。それが実際われわれが体験することです。
しかしより高いあるいは深い視野を持つなら、われわれはより大きい全体性の中の一部であり、分離した個人などというものは存在しません。
ですから、そう考えればあなたは目覚めを選ぶなどということはできないことになります。
だって選ぶ「あなた」、全体から分離した「あなた」なんて本当は居ないんですからね。
真実は、たった一つのconsciousness、唯一の普遍的なIがあなたを通して花開くことを選んでいるのです。
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by suna-tuki-mori | 2011-06-20 12:19