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Intimacy with yourself   アジャシャンティ的な何か。

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~Radio Adyashanti と オンラインコースの感想を中心に~

信仰は山をも動かすというイエスの言葉はどういう意味か(1)

ライブトークの参加者からの質問です。
「聖書のなかにイエスが信仰は山を動かすと言っている箇所があります(マルコによる福音書第11章22節~参照by訳者)が、これを説明してください」

エックハルト:
信仰という言葉は誤解を招きやすい言葉です。特にドイツ語ではfaithとbelieveは同じ言葉で表されるので、その傾向があります。
しかし本来faithとは何かを信じることではなく、タオ、powerのことを言っています。
そのpowerとは、いのちの源(source of life)にアクセスする力のことです。
すなわち信仰を持つ=have faith ということは、完全に本来のあなたである、あなたの本質で在るということです。

そのためには騒がしいマインドを超えて、生き生きとしたstillness にふれることです。
個人personalityは、降伏しなければなりません。
考えるマインドは、閉ざされた扉のようなもの。
グルジェフというロシアの神秘家が言っています。

「人間には二つの側面がある。一つは個人 personalityで、もう一つは本質 essence
だ」
多くの人々は個人の側面が非常に発達しています。
特に西洋文化においてはその傾向が強いです。そして今の時代は東洋もどんどんWesternizeされています。
しかし一方で、我々におこっているように、個人の側面が落ちていく人たちもいます。
個人が衰退していくと、そこから本来の生き生きとした本質が輝きだします。
それが私たちの生きる目的でもあります。
そのようになっていくと、個人の側面は、本質に奉仕する召使になります。
すると本質が私たちに何をするべきか、いうべきかを明らかにし始めます。
我々はそれを自分自身で行っているように感じるかもしれませんが、その「自分自身」はもうすでにエゴのIではなくなっています。
(続く)
by suna-tuki-mori | 2011-08-28 09:08 | ETTV